ホリエモン「声優って~」に対するツイートまとめ
声優って実際そんなにスキルいるんかえ?って身も蓋もない話もあるし。RT @bowwanko: 養成所は何十万もかけてるけどアニメを作ろうは一万円だからお得、というのは違うように思います。声優の卵が養成所にお金を払って通ってるのは己のスキルを上げる為であって
— 堀江貴文(Takafumi Horie) (@takapon_jp) June 16, 2013
ホリエモンは声優にスキルは一切必要ない、と言っているわけではありませんが、話題になるということはそんなに「スキル」なんて必要ないんじゃないの?って考えている人も多いからではないかと思います。
もちろん、声優にとって「スキル」こそ第一だ!ボケ!!みたいに考えている人の方が多いと思いますが。
元々は岡田斗司夫とホリエモンがアニメを作る企画で、岡田斗司夫が参加料1万円のオーディションを開催して声優を集めよう、というのが流れです。
で声優の話。岡田斗司夫さんによれば主役級は素人でも大丈夫、脇を実力派が固めれば。なので有料オーディションはアリ。こういう試みが拡がれば声優スクールに搾取されるモデルも改善されるでしょって話。俺にオファーくるのは話題性や存在感なんだろうね。所謂狭い世界でのスキルなんて考慮しない
— 堀江貴文(Takafumi Horie) (@takapon_jp) June 16, 2013
まるでジブリのことを言っているかのようです。
ジブリ最新作「風立ちぬ」では主人公の声は声優ではない庵野秀明です。
ジブリ最新作、主人公声優に「ヱヴァ」庵野秀明監督
庵野秀明の他はジブリらしく声優ではなく俳優陣が固めます。
なぜ、最近のジブリはプロの声優ではなく、俳優・役者を起用するのか? 「借りぐらしのアリエッティ」の公開時に更新されていた公式ブログでスタジオジブリ広報部長の西岡純一氏がこの疑問に答えていた。西岡氏によると「ジブリ作品は実写に近いような動きで、時間の流れが実際に近いものになっているため、プロの声優の声に違和感を感じる」「海外のドラマの吹き替えは役者が吹き替えている場合が多い」などの理由が挙げられている。
歴代ジブリ作品で声優に起用された俳優は? 積極的に俳優を起用する理由も明らかに
ジブリ作品はテレビアニメっぽいアニメではない、そういった演出の1つが俳優や素人の起用にあるかと思います。
ところで、その昔、モンタージュが発明された直後、演技をするのは俳優ではなく編集だ、という主張があったそうです。
モンタージュを映画の文法として理論化したのは、ロシア・フォルマリズムの映画監督たちである。彼らはもともと無関係な映像を接続することで、別のものを表現することができることに気づいた。レフ・クレショフ(Lev Kuleshov、1899-1970)は、上の動画の実験において、無表情な男の顔の映像とスープの映像を繋げて人々に見せたところ、誰もが「これは空腹な男だ」と認めたという。また、女性の死体の映像と繋げてみせると、男の表情は悲しんでいるように見えたと言うのだそうだが、もちろんクレショフは男に空腹の演技も悲しみの演技も要求していない。つまり、「無表情な男の顔+スープ=空腹の男」という形で、無関係な二つの映像から、新たな/第三の意味が生じるわけだ。
動画で学ぶ映画史(3)―エイゼンシュテインのモンタージュ理論
もちろん編集で演技を補うことは出来ても、役者が演じなくていいわけではなく、モンタージュからの反発があり、活動期な、ダイナミックな演出がとられることが多くなりました。
もちろんモンタージュは現在でも使われていますが。
ダイナミックな動きのある演出は、極端なものは爆発とかCGとかでしょう。
演じ方では、編集のない舞台で行われるような演技もそうかもしれません。
アニメの場合、CGを使うことがあってもリアルな爆破を再現するわけではなく、アニメ風の爆破にCGを使うことになるかと思います。
(もしかしたら、そうじゃないものもあるかもしれませんが)
つまり、あまりリアルな再現はアニメの演出上好まれない。
どちらかと言うと、リアルでダイナミックな演出よりもモンタージュ的な演出が好まれる。
デフォルメした絵やモンタージュのような編集で演出され、出来上がっているわけです。
では声、セリフとの関係はというと、実写よりもセリフの間隔が短く、たたみかけるような感じが多いようです。
実写と比べると、アニメの場合、画面に緊張感を持たせ続けるのが難しいから。
例えば、ジーっと見つめるシーンを考えた場合、実写なら10秒のカットでも間が持つでしょう。しかしアニメの場合、たった10秒でも間を持たせることが難しい。
そのためセリフを入れるか、細かいカット割りになります。
また、アニメの場合、口と声があっていないといけない。
実写の場合、神代辰巳が有名ですが、口とアフレコのセリフが全く合っていない事が多々ありますが、気になりません。気にならないどころか、むしろ引き込まれるくらいです。
神代辰巳の映画はたいていアフレコだが、アフレコの際に神代辰巳は撮影時に俳優が脚本(この場合だと長谷川和彦の脚本)に従って喋っていたのとは全然違うセリフや呪文のようなもの(この作品の場合だとショーケンの「えんやーとっとえんやとっと」という呟き)をアテてしまう。当然出来上がった映画はリップシンク(俳優の口の動きとセリフの同期)がデタラメになってしまう。で、長谷川和彦が神代辰巳に「クマさん、ぜんぜん絵と音があってないけどいいの?」と訊くと、「別にあってなくていいじゃん」と答えたという。
他の「一条さゆり 濡れた欲情」や「恋人たちは濡れた 」でも同じよう手法が使われていて、あの訳のわからない呟きようなものは何なのかこれまで気にはなっていたが、手元の神代辰巳オリジナルシナリオ集を見ても脚本にはそのようなセリフは記されていない。それが、神代辰巳によるアフレコで映画をもう一度作り直す行為だという長谷川和彦の指摘はとても鋭い。
Trek,Books&Rock'n Roll
有名なショーケンの「えんやーとっと」の場合、内面と外面を両立した、上の空で体を動かす演出というような評論ができるでしょう。
しかし、アニメの場合、これは許されないでしょう。
「えんやーとっと」のような演出はアニメでも行われているかもしれません。
(「えんやーとっと」は青春の蹉跌という映画で長谷川和彦の脚本ですが、長谷川和彦が監督したたった2つの作品のうち、太陽を盗んだ男に使われる音楽がエヴァでも使われていて、庵野秀明は長谷川和彦の影響を、さらには長谷川和彦が影響を受けている神代辰巳の影響を受けていると考えられ、庵野秀明がエヴァ以降のアニメに与えた影響を考えると、私が知らないだけで似た演出は存在すると考えられます
ちなみに、長谷川和彦もホリエモンも東大中退です)
ただ、会話のシーンですら口と声が合わないことはアニメでは難しい。
そういうのを見たことがないので、実際に口とセリフが合わなかった時にどう感じるかわかりませんが。
でも許されないとは思います。
やってみたらいいんだよ!!!今はデジタルで口パク直してくれたりするけどそんなん許さないからね!ちゃんとパク合わせてね!あと絵はコンテ撮だけどちゃんとお芝居してね!← ※カラーで絵が入ってる現場も稀にあります。
— 榎本温子 (@atsuko_bewe) June 16, 2013
ホリエモンのツイートに対して現役の声優がこのように言うのだから。
許されることではないのでしょう。
じゃあ、口とセリフがピッタリとあっていればいいかというとそうでもないようです。
アニメ映画の「AKIRA」では口の形、動きをセリフにピッタリと合わせたそうですが、これが不評でした。
AKIRA的な童夢が映画1本分の量と大友克洋が言っていた気がしますが、映画の原作は童夢の数倍で、それを120分に押し込めたことが不評の原因だと思いますが、口の動きに代表される細部ばかりで全体のバラランスの悪さもあると思います。
ということで、アニメの場合、口の動きに合わせてセリフが入らないとダメだけど、ピッタリ合ったからより良くなるわけではない、という事になるでしょう。
で、最初の方に戻ると、声優にスキルは必要かどうかについては必要でしょう。
そりゃ。
ただ、声優が演じすぎているような気はします。
それは見る側が求めているもので、作る側はそれに沿った結果なのかなぁと想像します。
声優には、わかりやすくするための「スキル」が求められているのかもしれません。
そもそも「スキル」は表現のための技術であって、「スキル」を伝えるために表現しているわけではありません。
アニメを見て声優の「スキル」が伝わらないのはある意味当然です。
それなのに本職の声優が反論するのは変な話だと思います。
もう一度最初にかえると、そもそもホリエモンは声優に「スキル」は必要ない、とは言っていません。